平成20年1月「もうダメ!お金が作れない、返せない。」血の気が引き、頭の中で色々な亊が、渦をまいた。
夫の度重なる借金に疲れ、原因はそれだけでは無かったが18年8月に離婚した。2人の子供を引きとり、頑張って行けると思った。それから、わずか2年で自分がこんな借金生活になるなって・・・。元夫が2年前に言った「首をつらなきゃならねぇ」という言葉が蘇った。
亊のきっかけは、平成18年11月、両親の生活費等を用立てて欲しいと、母と妹から頼まれた。サラ金なんて、自分とは無縁だと思っていた。初めて行ったA社の無人契約機で、見えない人間相手に、簡単に20万ものお金が借りられた。母は「ありがとう」と安堵の顔を浮かべせた。借りて良かったと思った。毎月の返済はわずか。大丈夫。そんな安易な思いが地獄への一歩だった。両親の不足も一度で済む訳もなく、あっという間に、A社の限度額は満額になった。そして次は、P社へと・・・・。
自分も返済が増え、生活費が不足してきた。返済の為に、次はR社へと、サラ金のはしごが始まった。作れるカードは、全て作った。10万・20万なんて、たいした額に感じなくなっていった。「どうにかなる」としか思わなかった。そんな異常な生活で、気づけば、2年間で700万円もの借金を作っていた。収入全てが返済で消え、カードばかりで厚くなった財布の中には現金なんて入って無い。子供の500円の月謝すら払えない。1日中、お金の亊が頭から離れない。そんな生活の中、子供達は文句も言わず、笑顔で側にいてくれる。救いにもなったが、それが辛さを増した。
「自分が死ねば保険金で返せる。」「子供を手放そうか・・・。」寝ている子供を横に涙がとまらず眠れない夜が続いた。
そんな時、妹が先にひまわりに相談に行き、私も「ひまわりの会」に行く事になったのですが、今まで、こんな自分の借金の事など話せる相手などいなかったし、親身に話を聞いてもらえ、気持ちが救われた。相談員さんが「人間らしく生きれる様、頑張ろう!!」と言ってくれた時には、涙が止まらなかった。返済ストップには、驚きと不安があったが、「救ってもらったのだ、言われる事は全てやろう」と思った。履歴を取り、ほぼ毎日、債権者への電話、勉強会では、色々な人の話が聞け、知識や頑張る力をもらえた。家計簿など、今まで書いた事も無かった。つけても、それ程変わらないと思った。が・・・。3か月もすると無駄なものを買わなくなり、半年くらいで生活の一部になったと思う。今では子供も、小遣い帳を書いている。きちんとした生活を送る為にも、家計簿は必要だと実感しています。
ひまわりの皆さんに支えられ、助けて頂き、20年8月にE先生に、お世話になる事ができました。私の場合は自己破産でした。
そして平成22年12月に破産の免責が決定しました。本当に、色々な事があった3年余りでした。思いだすと涙が出てくる事もあるけど、忘れちゃダメだと思うし、なにより「死ななくて良かった」「子供達を手放さなくて良かった」と・・・・。
ひまわりの会と出会えて、前向きに考え、進める様になり、第2の人生を始める事が出来た事に、心より感謝し、これからも大変かと思うけど、会員の皆さんの事を思い出し、二度と同じ事を繰り返さず、頑張って行こうと思います。
2016年12月20日